大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和29年(う)1189号 判決

控訴人 原審検察官 藤井洋

被告人 藤本節雄

検察官 宮井親造

主文

原判決を破棄する。

本件を原裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は検察官納富恒憲作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

同控訴趣意について、

記録を調べると、被告人外一名に対する起訴状記載の公訴事実中、被告人に対する(二)の殺人罪の訴因として、「被告人は……飲酒中、泉力雄か……「チビの癖に生意気だ、若僧の癖になめている」といつたので憤慨して泉力雄と喧嘩となり、かねて短気粗暴な被告人藤本節雄は、右泉力雄を殺害せんことを決意し、……作業用ナイフを抜き取り、泉力雄の頸部胸部腹部背部等を約十九回突き刺し因つて同人の頸部胸部腹部背部等十九箇所に刺創十九の傷害を負わせ、出血多量により同所で間もなく死亡するに至らしめて殺害の目的を遂げ」たと(詳細は論旨摘録のとおり)の記載があること、原審は右(二)の訴因中「かねて短気粗暴な被告人藤本節雄は」との事項の記載は、殺人罪の構成要件該当の事実自体でもなく、公訴事実を具体的に特定するに必要なこれと密接不可分の事実でもなく、事件につき裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項にあたるものと解すべきであるから、右事項を記載した被告人に対する本件起訴状は、刑事訴訟法第二百五十六条第六項の規定に違反し、これによつて生じた違法は爾後これを払拭することができないので無効であるとして本件公訴を棄却していることが明らかである。

しかし、右(二)の殺人罪の訴因として記載された事実の内容を仔細に検討すると、「かねて短気粗暴な被告人藤本節雄は」との記載事項は、いわゆる被告人の悪性格の記載ではあるが、それが、刑事訴訟法第二百五十六条第六項にいわゆる予断事項に該当するかどうかは相対的に、当該訴因として明示された具体的事実との関連において判断されるべきものであるところ、右の記載事項は被告人が酒宴の席で相手方の言つた言辞に憤慨して喧嘩をはじめ作業用ナイフで相手方の身体を十九箇所も突き刺して死亡させたとの事実が、傷害致死罪ではなく、殺人罪に該当する事実を具体的に明確にするため、犯罪構成要件に該当する事実の外、被告人がたんに酒宴の席上、偶発的に行われた喧嘩位のことで単純に且つ直ちに殺意を生じて殺害行為に及んだ動機乃至理由ことに犯意成立の過程を説明するのに必要なものとして記載されたものと解されるばかりでなく、仮りに、右の事項が記載されなかつたとしても、酒宴の席上偶発的に行われた喧嘩位のことで、他に何等首肯すべき動機もないのに、単純、即時に、殺意を生じ、しかも作業用ナイフで相手方の身体を十九箇所も突き刺して死亡させ殺害の目的を遂げたとの訴因記載の事実自体、既にその行為者のなんと短気でありなんと粗暴であるかを潜在的に表現していることが看取されるので、本件殺人罪の訴因記載の事実中、たまたま、被告人が喧嘩のため殺意を生じて殺害行為に及んだ犯意成立の過程の説明として「かねて短気粗暴な被告人藤本節雄は」との記載があるからといつて、これを以て公訴犯罪事実につき、裁判官に予断を生ぜしめるおそれのある事項を起訴状に記載したものと解するのは、失当であるといわねばならない。

この点について原判決は、「かねて短気粗暴」というような被告人の悪性が犯行の内在的原因であるとすれば、右のような犯行の内在的原因の存否は、被告人が当該犯行を行つたか否かによつて証明されねばならないものであるから、かかる事項を起訴状に記載することがとりもなおさず前示条項(刑事訴訟法第二百五十六条第六項)に違反する」と説示しているが、前記の如き犯行の内在的原因の存否は常に必らず被告人が当該犯行を行つたか否かによつてのみ証明されなければならないものとは限らないのであつて逆に、右犯行の内在的原因が公訴事実の存在以外の他の資料によつて証明されることによりそれが公訴事実認定の一資料となり得る場合の存することに想到するならば、原判決のした右説示は必らずしも正鵠を得たものとはいい難い。

以上説明したところにより、被告人に対する本件起訴状記載の殺人罪の訴因中「かねて短気粗暴な被告人藤本節雄は」との記載事項は、刑事訴訟法第二百五十六条第六項にいわゆる裁判官に予断を抱かしめるおそれのある事項にあたらないものと解するのが相当であるから、原審が右の記載事項を以て同条項に違反する事項を記載したものと解して右起訴状を無効とし、本件公訴を棄却したのは、法令の解釈を誤つた結果、不法に公訴を棄却したものというの外ないので、原判決は刑事訴訟法第三百七十八条第二号第三百九十七条第一項に則り破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、原判決を破棄した上、同法第三百九十八条に従い、これを原裁判所に差し戻すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西岡稔 裁判官 後藤師郎 裁判官 大曲壮次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例